日本の蒸気機関車

日本の最初の蒸気機関車は、1893年(明治26年)にイギリスの技術を用いて造された。 大正時代に入ると日本独自設計の蒸気機関車が登場しはじめ、民間企業のよる蒸気機関車の生産体制が整う。 その後、第一次世界大戦、第二次世界大戦と輸送量増加にともない大型の旅客機や貨物機が大量生産され、実用上十分な信頼性・耐久性を備え、戦前・戦後の鉄道全盛期を通じて1976年(昭和51年)の全廃まで各所で活躍した。 写真は、1975年12月14日に「さようならSL」のヘッドマークを掲げた蒸気機関車牽引の最後の定期旅客列車であるC57 135が室蘭本線室蘭-岩見沢間で運転された時の写真である。 このC57 135は年明けの1976年5月に東京の交通博物館に回送・陸送され保存されていたが2007年10月に交通博物館に代わって開館した鉄道博物館に保存されている。

蒸気機関車の魅力

蒸気機関車の魅力
蒸気機関車の魅力は、なんといっても力強さであろう。煙突から黒い煙を吐きながら車両をけん引する時の迫力は、圧巻である。 まだ多くの観光地で頑張っている姿を目にすることができるので、ぜひ実物を体験してほしい。

ギャラリーについて

ギャラリーについて
このギャラリーは商用の蒸気機関車の終盤である1970年代に北海道で撮影された写真を中心に飾られている。 生活の一部を共にした蒸気機関車の記録を残すための設立された。蒸気機関車の雄姿を長く残せることを願う。

運営組織

運営組織
このギャラリーの運営組織である「蒸気機関車記録保存協会」は、蒸気機関車の愛好家を中心に設立された非営利団体である。 蒸気機関車と一緒に暮らした時の記録を残すと同時に蒸気機関車の魅力を広く伝えることを目的としている。
国鉄C57形蒸気機関車

国鉄C57形蒸気機関車

国鉄C57型蒸気機関車は、旅客用テンダー式蒸気機関車である。 C51形以来の標準である1,750mm動輪を装備しているが、それまでのC53形、C55形よりも細いボイラを搭載しているため脚の長い整った容姿の女性に例えて「貴婦人(きふじん)」の愛称で紹介されることも多い。 しかし、準戦時設計となった2次形では蒸気ドームが拡大され戦後型の3次形以降は補器類も見直されて厳つくなったため「貴婦人」の愛称にはふさわしくないともいわれる。

国鉄D51形蒸気機関車

国鉄D51形蒸気機関車

国鉄D51型蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。 主に貨物輸送のために用いられ太平洋戦争中に大量生産されたこともあって国鉄における所属総数は1,115両に達しておりディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。 操作性の良さから人気があり「デゴイチ」の愛称は、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。

君は強かった

大量の黒い煙と白い蒸気を吐きながら、とてつもなく長い車両をけん引する君は強かった。 たった一台の君が、あれほどの車両をけん引しているのを見てびっくりした。 踏切の横断待ちをしている僕は、あまりの長さに待ちくたびれたものだった。

君は頑張った

暑い日も寒い日も雨の日も雪の日も君は頑張った。 あのころは車両故障で列車が遅れるというのは記憶がない。 汽車通学の僕は、雪が積もった朝にどうせ遅れるだろうと思いのんびりと駅に向かっていたことがあったが定刻で現れた君を見てあわてたものである。